はじめまして。英語コーチのAyakoです。

社会人の英語初中級者の皆さんを対象に、使える英語力を身につけて、人生を変えるための完全カスタマイズ英語コーチングを行っています。

13年間の大手英会話学校での指導と2年間の企業向け語学研修会社での勤務を経て、第二言語習得理論や脳科学等を学び、現在は独立して英語コーチとして活動。延べ1000人以上の方の英語人生に関わってきました。

帰国子女でもない日本人の私だからこそ出来るティーチングとコーチングを掛け合わせた、一人一人に寄り添う英語コーチングからスタートし、現在では、NLPコーチングの技術英語発音技能検定EP-Pro®特級の発音指導力を合わせてサポートを提供しています。
メンタルを整え、発音を基礎から体系的に指導していくことで、揺るがない英語力を身につけ、望む人生を手に入れていただくためのサポートを行っています。

今回は、私の話をしたいと思います。
少し長いですが、あなたの未来にもつながるお話をしていますので、ぜひ最後までお付き合いください。

現在の私

英語で英語を教える教授法で13年間、英会話スクールで主任教師として勤務。

洋書はHarry Potter、Game of Thrones、Twilight Saga、Bridget Jones’s Diaryをはじめ、ファンタジー、ラブストーリー、コメディなどを、楽しみながら読めるレベル。読んだ洋書は、キッズ向け絵本も入れたら100冊を軽く超えます。

映画やドラマも、専門的なものでなければ内容が分かりますし、海外旅行へ行くときも、英語のサイトで現地のツアーを検索したり、ホテルへ問い合わせメールを書いたり、現地の人と英語で話して仲良くなったりできます。

英語を楽しく学びながら、好きな英語を職業にできている私。

「英語が教えられるなんて、もともと得意だったんでしょ?」

そう思われるかもしれませんが、実は全然そんなことありませんでした

過去の私

学生時代の私は、実は全く英語が得意ではありませんでした

  • 単語は覚えられない
  • スペルは書けない
  • 訳せと言われても辞書の訳を並べるだけ
  • 英語の並べ替え問題も何が合ってるか分からない
  • 発音も苦手

特に発音は、「うまくできないくせに頑張ってる」と思われたくなくて、授業中に教科書を読むように言われても、わざとカタカナ読みしちゃうぐらいでした。

その頃の私にとっての英語は完全に「暗記科目」。

英語はテストのためであり、受験のため。その先に何かがあるとは考えたこともなく、必要だから、やらなきゃいけないから、そんな気持ちだで勉強していました。

学生時代の英語って、楽しくなかった、って、私だけじゃないですよね?

そんな高校時代の頃の将来の夢は、実は国語の先生でした。

4月生まれの長女の私は、子供の頃からお姉ちゃん気質、つまり、おせっかいの世話焼き。

そんな気質もあってか、将来の夢はなんとなく「先生」だったんです。
国語の先生になってどうしたい、という強い気持ちがあったわけではありませんが、「先生になりたい」と、「国語が得意」が合わさって、ぼんやりと将来の目標になっていたのだと思います。

そして、大学受験。
第一希望の教育学部の国語科は不合格。
合格したのは同じ学校の教育学部、養護教育課。 保健室の先生になるための課です。

「後期のテストがセンター試験の結果を送るだけ」という理由で受験した課で、よく調べもしないまま、新たな道に進むことになってしまいました。

大学生活は楽しく、新しい道も悪くないかと思い始めたところで、重大なことに気付きます。

「血を見るのが苦手だった・・・」

蛙の解剖も見てられない、ひどい怪我を見たら自分も痛いような気がして貧血っぽくなる・・・。

保健の先生って無理じゃない?自分の将来、このままで大丈夫かな…。どこに向かっていこう?そんな不安を抱き始めました。

そんな時、大学生協で見かけた「短期ホームステイ研修」のパンフレット。
海外どころか飛行機にすら乗ったことがなかった私ですが、パンフレットの中に広がる日本とは全く違う世界にわくわくしました。家が広い!外国人がいる!なんか楽しそう!

「日本と全然違う世界を、ぜひ体験してみたい!」

そして大学2年の春休み、アメリカカリフォルニアでの3週間のホームステイ研修に参加したのです。

英語が出来ない私の初海外での事件

カタコト英語しか話せない状態でしたが、軽い気持ちで参加したホームステイ研修。

学生向けのこのプログラムには、日本各地から同年代の参加者が15名程参加していました。参加者の間ではほとんど日本語を話していましたが、とりあえず初めての海外です。

食べ物、景色、文化、言葉・・・。
全て日本と違うのが新鮮でした。ホストファミリーも、ガイドも兼ねた先生も、つたない英語を辛抱強く聞いてくれ、カタコトではありましたが意思疎通ができるワクワク感を体験しました。

ただ、同時にもどかしさも感じていました。
参加者の中に英語が出来る子がいて、先生や現地の人とペラペラ話したり、時には私たちの通訳をしてくれたり・・・。

あんな風に話せたらいいなあ、という憧れと、自分が思ったことが言葉にならないもどかしさ・・・。

そんなもどかしさが最高潮になったのは、ある週末、ホストファミリーと出かけた時の事です。

ホストファミリーは、小学生のお姉ちゃんと幼稚園の弟くんがいる4人家族でした。
その日は私を含め5人でサボテンを見に出かけたときに、事件が起きたのです。

車を停めた後、両親は少し先の道路沿いを歩いていて、私と子供たち2人は少し後ろを歩いていました。
途中、両親が道路を渡って先へ進んだので、私も同じ様に横断歩道のない道路を横断。その直後、後ろにいた弟くんからこんな台詞が聞こえてみました。

「お姉ちゃんを殺す気?」

英語力のない私の記憶なので、弟くんがどういうつもりで言ったのか、実際にどんな言い方をしたのかははっきり覚えていません。

私が道路を渡ったので、お姉ちゃんもその後を追って道路を渡り、そして、その直後を車が通過したようでした。

“Are you going to kill my sister?”

おそらくこんなようなことを言ったのでしょう。全く聞き取りには自信がないころでしたが、20年以上たってもまだ覚えているぐらい、初心者の私には “kill”という単語はとても重く響きました。

その後、両親がきてフォローしてくれ、特に問題にならず観光を続けましたが、苦笑いするしかない自分の英語力のなさ…。

ちゃんと見てなくてごめんね、とか、そんなつもりなかったよとか、何か言えれば良かったのですが、全く言葉がでてこなくて、本当にもやもや、もどかしい気持ちでした。

「何かあった時にきちんと英語でコミュニケーションが取れるようになりたい」

もっと会話を楽しみたいという気持ちはもちろん大きかったのですが、この一件で英語力の必要性を感じたのです。

このアメリカでの体験は、英語がテスト対策の「学問」ではなく「コミュニケーションツール」であることを実感させてくれました。

そして、通じる楽しさと、英語が出来ない悔しさ、もどかしさを同時に味わったことがきっかけとなり、帰国後「英語をやる」と決意したのです。

自主的な英語学習スタート

帰国後、アルバイト代を貯め、近所の英会話スクールに入学しました。
下から2番目の初級クラスからのスタートです。

ちなみに、私が勤務した大手英会話スクールでは予習を重要視していましたが、この学校は予習がないタイプ。授業になって初めて学ぶユニットが分かるというスタイルの学校でした。

予習はないものの復習はしっかり行い、少しずつ話すことにも慣れ、単語帳も作って地道に勉強。
高校までと学習内容はそれほど変わらないのに、学んだことが会話につながると思うだけで、学習が楽しいと感じるようになったのです。

英会話のクラスは徐々にレベルアップし、レッスンに行くのが楽しくてたまりませんでした。もうその頃には保健の先生になる気持ちはなくなっていて、とりあえず英語の勉強を続けて、一般企業に就職しようかなと考え始めます。

とはいえ、就職活動もそんなに甘いものではありません。

特に就職氷河期と言われていた時代、私のように、特に目的もなく、勤務地や待遇だけで就職しようとしている学生が内定をもらえるはずがありませんでした。

いくつか受けた面接でも自己PRが苦手で、自分って何の強みもないな、と落ち込むように…。

現実逃避もあって、もう少し長く語学研修に行きたいという気持ちがどんどん強くなり、就職したらしばらく長い休みは取れないから、と結局、新卒での就職はあきらめました。留学を言い訳にして、就職活動から逃げた、というのも正直ありました。

卒業後は半年フリーターとして資金を貯め、秋からカナダ、バンクーバーでの2ヶ月の短期語学留学に参加。

大学時代に両親は離婚しており、パートで妹と犬、3人1匹の家族の家計を支えてくれていた母。
余裕のない中、自分の夢ばかり語っていた私を全面的に応援してくれていたことには、本当に感謝しかありません。

2度目の語学研修で感じたもどかしさ

さて、初回と違って準備して臨んだ2回目の語学研修です。多少話せる自信がついてきていました。

クラス分けでは中級クラスに入り、自分の言いたい事はある程度伝えられるレベルでしたが、それでも、まだスラスラ話すには程遠い…。

1対1の会話は出来ても、ネイティブ2人で話している場に一緒にいると、話す文章を考えているうちに会話が流れてしまい、結局何も話せないで終わる、なんてことばかりでした。
ああ、ああいえば良かった…、と後悔したり、自分のふがいなさにがっかり、という日々の繰り返し。

それでも、こんな機会はもう2度とないと思い、学校では日本人のクラスメイトとも英語で話し、毎日英語で日記を書く。
家ではホストマザーとご飯の準備をしながら一日の出来事の報告。夜は一緒にドラマを見ながら一時停止で解説をしてもらう、と、文字通り英語漬けの生活を送りました。

そこまでやってもスピーキングが伸びた実感はあまりありませんでしたが、リスニングは大分慣れたと感じ、自分が英語を話している夢を始めてみた時は感動したのを覚えています。

ちなみにこの時出会ったホストファミリーとは、20年以上経った今でも良き友人としての付き合いがあります。英語を学んでよかったな~と思う理由の1つでもあります。

帰国後、何か英語を仕事をしたいと思った私は、TOEICで英語力を形で証明しよう!と、TOEIC対策を始めました。

またまたアルバイトをしながら英語の勉強。文法書を1冊買って最初のページから取り組み、洋書を読んでわからない単語を調べては単語帳にまとめ、TOEICの問題集を解いて復習。金銭的な問題でたくさんのレッスンは買えなかったものの、英会話レッスンも細々と続けていました。

この頃は、就職していない焦りはありましたが、勉強しているんだから将来につながってる!と自分に言い聞かせながら、とにかく英語学習を最優先にしていました。

TOEICの点数は700点→805点となり、帰国後1年たったところでようやく就職。でもせっかく得たその仕事も結局1年半で辞め、ワーキングホリデー参加を決意します。2度目のバンクーバーです。

こうして振り返ってみると、ずい分自由な人生を歩んできたな、と思いますね!

ようやく見つけた心からやりたい仕事

カナダでは前回と同じホストファミリーのお世話になり、バンクーバーでの生活を始めました。バンクーバーでの暮らしが大好きだったので、私は、なんとかカナダで仕事を得て移住出来ないかという甘い考えを抱きます。

日系の会社に履歴書を持っていったりもしましたが、ことごとく惨敗。1年半の事務経験しかない私のビザのスポンサーになってくれる会社はそうそうないものです。早々に移住計画はあきらめました。

それからはカフェテリアでアルバイトをする毎日。働くことで自分がバンクーバーという社会の一員になったような、ある種の達成感がありました。

ただ、ある日ふと思います。このままでは、ただカナダでアルバイトしただけ終わってしまう。今後の人生に何かプラスになることをしなくては・・・。1年という時間とお金をかけているので、猛烈な焦りです。

そこでTEFL(Teaching English as a Foreign Language)、つまり英語を教える方法を学ぶコースを受講することにしました。

結局選んだのは「先生」という仕事。英語は得意でなく、国語の先生を目指していた私が、回りまわって英語の先生を目指すとは、人生分からないものですね。

この3ヶ月間は純粋に「教え方」だけを学びました。英語力は自分で伸ばさなくてはいけません。
英語で英語を教える方法を学ぶのには苦労もありました。テキストは全て英語で、教育の専門用語を調べながら理解し、模擬授業のレッスンプランも全て英語で書かなくてはいけませんでした。
自信がなかった私は、レッスン中に話す言葉を全てあらかじめ準備していました。この頃は結構大変で遅くまで勉強をしてましたが、学ぶのは楽しい!と改めて感じていました。

一番苦手だったのは発音のレッスン。専門的な言葉が難しかっただけではなく、自分が教える音の違いが分からないという致命的問題も抱えていました。
ただ、どうせ同じ時間をかけて準備するなら、自分の英語力も一緒に伸ばそう!と安直に考えた私は、模擬レッスンであえて自分の苦手な音を教えることにしたのですが、結果思ったように評価してもらえず、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。

この悔しさを経験したことから、講座終了後、最初のカナダでの語学研修時代にお世話になった先生にプライベートレッスンで発音指導をお願いしました。今となっては、この個別指導がとても役立っていて、全て必然だったなと思います。

帰国後は、大手英会話学校に英会話講師として採用され、そこから13年の間、子供から大人、会話から文法、音読にTOEICなど、様々なクラスを担当します。

英語指導をする立場になって…

英会話講師になってすぐにうまく教えられたわけではありませんでしたが、それでも教えているうちに、生徒さんが「楽しい」とレッスンに来てくれたり、「分からなかったところが分かった」と言ってくれたり…。

指導する立場になって、英語の楽しさを伝えられる、そして生徒さんの英語力向上に直接関われる、何てやりがいのある仕事なんだろう!と気づきました。

日々試行錯誤の連続で、失敗から学んだり、生徒さんの質問で成長したり、TOEICや英検1級のための学習をしたり、翻訳の勉強をしてみたり…。
日々努力する生徒さん達に負けないよう、自分自身も英語学習をする毎日でした。

そうしているうちに、発音指導や文法指導に関して一目置かれる存在になり、同僚の先生からも、「あなたの英語が今まであった日本人で一番きれい」と言われるまでになりました。

苦労は報われる!と本当に嬉しく思ったのを覚えています。

高校の頃までは

「英語なんて、センスがある人や頭のいい人しかできるようにならないものだろう」

なんて思っていたりしましたが、自分の経験から、そして1000人以上の英語学習者を見てきた経験から、センスや頭の良さは関係ないってわかりました

【大事なのは正しい学習を継続すること】

だったんですよね。

でも、私の場合、努力と継続だけで何とかしようと、膨大な時間とお金、労力を費やしました。

5年近く通った英会話スクールに、英語学習用のパソコンソフト、語学研修にワーキングホリデー、プライベートレッスン、英文ライティングと翻訳の通信講座、購入した数々のテキストに洋書、辞書をひいては書き写した単語帳5冊に英語日記2冊…。

何百万もの投資です。

さらに、英語業界の第一線で活躍されている方の本を読んだり、講演を聴いたり、第二言語習得や脳科学について学んだりもしました。

もっと効率的にできたなと今となっては思いますが、それでもその失敗も含め、今までの知識と経験を実際の指導に活かしてきて、改めてこう思います。

英語はやれば誰でも話せるようになる!そしてそのための効率よい学び方がある!

英語コーチとしての想い

英会話スクールでの経験はとても貴重で、たくさんの学びややりがいがありました。

それと同時に、企業で働く上での制限も感じていましたし、毎週通学していただく生徒さんの上達を左右する 「家庭学習」指導とサポートが行き届かないことがあるのを痛感していました。

そこで、英語コーチとして

「英語でコミュニケーションが取れるようになりたい!」と願う社会人が、私のように遠回りしないで英語力を身につけるサポートをしたい!

と思い、初中級者の社会人が、忙しい中でも正しい発音を学び、効率よく英語力を伸ばせる学習法を学んで、学習を継続するためのコースを提供することにしたんです。

  • 英語学習がなかなか続かない…
  • 自分の英語に自信がない
  • 英語に苦手意識がある…
  • 自分の発音があっているか分からない
  • 何をやったらいいか分からない

そんなあなたでも大丈夫です!

必要なのは

「英語ができるようになりたい」

という強い気持ちだけ!

実際に、数ヶ月のコーチングで

  • 今まで続けられなかったけど、毎日継続できている
  • 習の仕方が分かったことが大きい
  • 始めた頃より発音がうまくなったのが分かる
  • 聞き取れる英語が増えた
  • 前よりも口から英語が出てくるようになった
  • 分かる単語が増えた
  • 英語が抵抗なく読めるようになってきた

そんな上達実感の声をいただいています。

継続のコツ、勉強のコツ、正しい発音、これが分かれば、あなたの英語力も絶対に上達します!

英語が苦手で苦しんだ経験、英会話講師としての経験、そして研修会社でのカリキュラム作成や教材開発に関わった経験を活かし、あなたが最短で上達するためのサポートをしていきます!

英語力を身につけて自分に自信を持ち
人生の可能性を広げて思いっきり楽しんでもらいたい

私が全くできないところから教えられるレベルにまでなれたように、英語に苦手意識を持っているあなたも、絶対に変われます!

繰り返しになりますが、

必要なのは、「できたらいいな」じゃなくて
「絶対に英語力を身につける」という決心!

その気持ちさえあれば、今この瞬間から、理想の未来に向かって歩きだすことができます。

私が今体験している、英語が当たり前にある世界を、言葉の壁がない世界を、あなたにもぜひ体験してもらいたいと思っています。

心から応援しています♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!